言葉は、いつでも通じるわけじゃない
言葉というのは、双方の知的レベルが同等の時以外は無力な時がある。
私はそれを、20代前半で痛感しました。
当時の私は仕事で激務に追われていました。
毎日午前様。土日も出勤。
そんな激務に耐えられる身体ではないと薄々わかっていたのに、社畜の私は一生懸命頑張りました。
そして身体に異変が起きました。
「ちょっと変だな」から始まった
額の、眉毛のちょっと上がずっと痒い。
挙句の果てに、パラパラとフケのように皮膚が落ちてくる。
変だなぁと思って皮膚科を受診。
先生は顕微鏡で見て、なんだろうね?という雰囲気。
そして言われたのが、こういう感じです。
「取り敢えずこれを塗って」
「良くなったらすぐに止めて」
「良くならなかったらすぐに来て」
たぶん、医療者としては丁寧な会話だったと思います。
“効く”が、判断を狂わせる
塗ったら良くなった。
だから安心した。
でも、また痒みが出てきた。
また塗って、良くなって、また痒みが出て……。
良くなるから病院に行かなくていい。
でも痒くなるから塗る。
塗れば良くなる。
このループが続きました。
今思えば、3回目くらいで病院に行けばよかった。
でも、そういう時に限って激務なんですよねぇ。
時間がないと、人は「効くこと」を正解だと思い込みます。
気づいた時には、もう違う景色だった
気がついたら大変なことになっていました。
塗った所が、指の跡のように赤く残ってしまう。
何だかわからなくなって、別の病院へ。
そこで言われたのがこれです。
「ステロイドによる炎症ですね」
……え?
なんですか、それ。
私はステロイドを使っていた?
ここでちゃんと書いておきますが、
ステロイドは用法・用量を間違わなければ、とても良い薬です。
マスコミに踊らされて「危険一辺倒」になっている人は、もう一度勉強して下さい。
問題は薬そのものではなく、使い方の設計です。
何が起きていたのか
今ならわかります。
医師の「良くなったら止めて」「ダメなら来て」は、
短期使用と再診を前提にした言葉だった。
一方で、受け手の私はこう理解してしまった。
「痒いなら塗り続けて良い薬」だと。
言葉そのものは聞いているのに、
その言葉が立脚している“前提”が共有されていない。
ここに、言葉の限界があります。
言葉が通じない時、必要なのは「仕様書」
薬の説明で本当に必要なのは、薬名よりも「運用ルール」です。
- どの部位に塗るのか
- どれくらいの期間なのか
- 良くなった後はどうするのか
- 再発したら何回まで自己判断で良いのか
- どこからは必ず受診なのか
この“仕様書”がないと、患者は「効いた」という事実だけで判断してしまう。
忙しい人ほど、その傾向は強くなる。
最後に
言葉は万能ではありません。
特に医療の世界では、説明する側には常識でも、受け取る側には未知の前提が山ほどある。
そして、効く薬ほど怖い。
怖いからこそ、ルールが要る。
添付文書も含めて、薬の情報はまだまだ専門家向けです。
「読めばわかる」ではなく、「誤用しない形で伝わる」設計になっているのか。
薬行政も、医療現場も、そして私たち患者側も――
一度そこを疑ってみる必要があると思っています。