当たり前を疑う

薬のサイトを作り始めて、私は一つの「当たり前」に躓きました。
ジェネリック医薬品の販売停止が相次いでいたことです。

「なんで?」と思って調べると、背景には品質や製造管理をめぐる不正・偽装の問題がありました。
薬で偽装――。
体内に入れるものが、そんな理由で止まる現実に、正直、背筋が冷えました。
じゃあ私たちは何を信じたらいいのか、と。

そんな時、ふと思い出したのが、テレビCMで耳にしたフレーズです。

「当たり前を疑え」

私たちの周りには、“当たり前”で固められた常識がたくさんあります。
でも近年、その常識は脆くも崩れてきました。

  • 教師は聖人君子ではない。児童の猥褻な画像が共有されていた。
  • 大学教授が企業にリベートを要求していた。しかも遊興に溺れていた。
  • 大手乳業企業が長年に渡って食品偽装していた。
  • 甲子園常連校が体罰を日常的に行っていた。

こうしたニュースは今に始まった話ではありません。20年前から、ちらほらと世間を賑わせてきました。

ここで怖いのは、これが「局所的な話」で終わらない点です。
セクハラ、モラハラ、パワハラ、偽装、捏造、虚偽。
それを平然とやっている人が、いまだにいる。立場のある人ほど声が通り、弱い人ほど黙らされる。

歴史ある業界ほど、アップデートが遅い。

古い慣習が温存され、「昔からそうだから」で通ってしまう。
その結果、外から見えにくい場所に歪みが溜まり、ある日、事件として噴き出す。

薬の世界も、例外ではありませんでした。
厚労省が対策に躍起になっているのは分かります。けれど、だからこそ思ってしまうのです。
この国の薬行政は、本当に盤石なのか。危うさを抱えたまま、「大丈夫」という前提で走っていないか。

ただし、「当たり前を疑う」は、疑心暗鬼になれという意味ではないはずです。
むしろ必要なのは、盲信ではなく“確認する習慣”です。

薬は体内に入れるもの。

ヒューマンエラーは必ず起きるし、経済的な理由で不正が行われるリスクもゼロにはできません。
だからこそ、薬の添付文書を読む癖を付けたいしニュースなどにも耳を傾け、自分の言葉で理解したい。
疑問があれば、質問する。相談する。立ち止まる。

「誰かが完璧に守ってくれているはず」という信仰から、少し降りる。
当たり前を疑うとは、社会を壊すためではなく、自分と家族を守るための“現代の生活技術”なのだと思います。