だれも責めないために――薬の安全は「仕組み」と「伝わる情報」で守る

胸が締めつけられる出来事

妊娠中には使ってはいけない薬が処方され、赤ちゃんに影響が出た――そんな報道に触れ、胸が締めつけられました。まず、被害に遭ったお母さんとご家族の気持ちは、想像してもしきれません。妊娠中は体調も心も揺らぎやすく、毎日が手探りの連続です。その中で「飲んだ薬が関係しているかもしれない」と知らされたとき、どれほどの不安と恐さが押し寄せたでしょう。

医療従事者を悪者にして終わらせない

同時に、このような出来事が起きたとき、医療従事者を“悪者”にして終わらせるのも、私は違うと思います。医療は、忙しさの中でも一人ひとりが真剣に支えてくれている現場の積み重ねで成り立っています。人が関わる以上、どれだけ注意しても見落としが起こり得る。だからこそ、安全は「誰かの完璧さ」だけに頼るのではなく、見落としにくい仕組みで支えるべきです。

改善すべきは「人」ではなく「仕組み」

今回の件は、報道で賠償が行われたことからも、病院側に改善すべき点があったのだろうと受け止めています。けれど、ここで大切なのは「誰が間違えたか」ではなく、「どうすれば同じことが起きにくくなるか」です。妊娠中という情報が、画面のどこかに小さく表示されていた。忙しい診療の流れの中で、重要な情報がほかの情報に埋もれてしまった。もしそんな“仕組みの弱さ”があったなら、そこを直すことが再発防止につながります。

「気づかなかった側が悪い」にはしない

そして、患者側についても誤解が生まれないように言いたいのですが、患者は基本的に「まな板の鯉」です。専門知識がない中で、医療者を信頼して受診し、処方されたものを飲む。その行動は責められるべきではありません。体調が悪い時、妊娠初期で自分でも気づけない時、説明が難しくて理解しきれない時もある。だから「気づかなかったのが悪い」という話には、私はしたくありません。

禁忌(きんき)は「注意」ではなく「原則使ってはいけない条件」

ただ一方で、薬は私たちの体を助ける力がある反面、条件がそろうと危険にもなります。とくに「禁忌」は、“注意”ではなく“原則として使ってはいけない条件”です。だからこそ、これは責任ではなく、私たちが自分と家族を守るために持ってよい「知識」だと思います。言葉自体も知っておく事、伝える側は認識しやすい言葉に改める努力も必要です。

安全を高める答えは「対立」ではなく「協力」

結局、安全を高める方法は、対立ではなく協力です。医療側は、重要な情報が見落とされにくい表示や手順、チェックの仕組みを整える。薬局でも重ねて確認できる流れを強くする。患者側は、できる範囲で情報を共有し、分からないことは遠慮せずに尋ねる。“誰かを疑う”のではなく、“守るために確認する”という文化を広げる。

薬行政に求めたい「伝わる情報」のかたち

最後に触れておきたいのは、医療現場だけの話ではなく「薬の情報の届け方」そのものです。薬には添付文書があり、禁忌や重大な副作用も記載されています。しかし、現実には一般の人がそれを読む機会は多くありません。そもそも文章が専門家向けで、必要な情報にたどり着くのも簡単ではない。これで本当に「国民が安全に薬を使える」状態と言えるのだろうか――私はそこに大きな課題があると感じます。なんとか頑張っている形は見えますが、抜本的な改革は滞っている様にも思えます。

「知っている人だけが得をする知識」にしない

禁忌のように命や人生に関わる情報は、「知っている人だけが得をする知識」であってはいけません。薬局で渡される説明紙、スマホで見られる情報、薬袋の表示、医療機関の画面設計など、行政も含めて“伝わる形”に整えていく必要があります。専門的な正確さは守りながらも、一般の人が理解できる言葉で、重要度順に、迷わず読める形にする。そういう仕組みづくりが、現場の負担も減らし、患者側の不安も減らし、結果として事故を減らします。

さいごに――みんなが不幸にならないために

薬は、任せきりにしない。これは責任を押し付ける言葉ではなく、医療者を疑うための言葉でもありません。医療の努力を前提にしながら、仕組みと情報の届け方を整え、患者も“守るために参加できる”社会にしていく――その方向に進めたら、みんなが不幸になる出来事を、少しずつ減らせるはずです。